首折り男のための協奏曲 [153回参照されました]
あおみさん がこの本を手に取りました。あおみさんは、これまでに174冊の本を読み、67,684ページをめくりました。
本の紹介
100% [全315ページ]
状態 読み終わった!
2014/11/21 01:47:16更新
著者 伊坂 幸太郎 ブックリンクされた本
-評価
★★★★☆感想
本作には7つの短編小説が載っている。
それぞれの物語は交わっているのか、そうでないのか、どこかで見たという既視感はあるがはっきりとは思い出せないような何だが奇妙な繋がりを呈している。ある芸術品をまえにして、その形は途轍もなく歪なのにどこかに魅力を感じ、しかしその理由が自分自身にも検討がつかないような奇妙さである。
物語それぞれに個性があり、主題がある。
恋愛であったり、社会的問題であったり、恐怖であったり、日常であったり、立ち向かう勇気であったり。
このように、これらの物語は一見してどういった関連性を持つのか判然としない雑多な主題を取り上げているが、私は一貫している点が一つだけあると感じた。そして同時にその一点に大きな安心感を覚えた。
それは「神様は存在している」ということである。
先に断っておくが私は宗教信者ではない。これまで神に感謝したことも、熱烈に頼ったこともない。従って、神は私たちを導いてくれるといった風な、信仰的な安らぎを感じたのではない。
私が感じたのは、多大なる力をもった人間に対しても天罰が下るということに対する安心感である。
明晰な頭脳、金銭、人脈、これらを持ち合わせた人間に対して立ち向かえる人間はそう多くない。そしてこうした益に富んだ人間は得てして性格や考え方が捻くれている。世界は我が物と言わんばかりに毎日を過ごしている。
所謂、庶民的国民はこうした卑しい人間に対してどうにかして痛い目を見させたいが、どうも敵わない。そうした時に、神様がしっぺをする。怪我や人生の終わりというような大きなものでなくても、人前で辱めを受けたり、隠し通した秘密が知られたりという小さなことで構わない。
「あぁ、神様も苛立ちを感じたんだな」という安心感が庶民の心を満たすのだ。
そして、重要なのは神様は気まぐれであるということだ。
いつも神様が我々を見ていると思っていては、それは窮屈で、それこそ宗教信仰に紛いない。
神様が何かのついでに、もしくは気まぐれに、人間世界を覗いた際にお痛を咎めたのだ、という認識程度が丁度良い。
何でもないこの考え方一つが私たちの日常を安らいだものへと導いてくれる。
苛立ちを行動に直結させるのではなく、「神様、いまのあいつの行動見てました?見てなかったら仕方がないですけど。」というように神様に愚痴をこぼすぐらいの余裕をもった人間になりたい。
伊坂氏の作品はいつも、面白かったかどうかに対する評価だけでなく、読者の人生観を変化させる。そしてその変化の多くは安らぎの方向を向いている。
直接的なメッセージはないにも関わらず、不思議と「明日からも頑張ってみるか」と元気が湧いてくる気がする。だから好きだ。
読書の軌跡
315ページ | 2014/11/21 01:47:16 |
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