「甘え」の心理―愛に出会う時、愛を失う時。 (PHP文庫) [99回参照されました]
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本の紹介
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2013/08/27 03:59:41更新
著者 加藤 諦三 ブックリンクされた本
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心の健康な人は、相手を信じることができるから、友情や愛情の証として相手の犠牲を必要としない。
何かでいっぱいいっぱいになってしまうと、相手のことまで気が回らなくなる。
心の底で、自分は愛されるに価しない人間だと感じている人は、他人の愛を信じることはできない。
自分が自分だから受け入れられ、愛されている。
相手が具体的に何も与えてくれなくても、相手を愛することそのことによって満足できるのが、愛する能力。
その一日は、過ごし方によっては素晴らしい一日となる可能性のある一日である。
実際の自分を知って去っていく人がいるなら、一刻も早く去っていってもらったほうがいい。
甘えの欲求をすでに満足させているか。過去においてどのような受け入れられ方の経験をしてきてあるか。
甘えの欲求がみたされていない人は、近づければ図に乗るし、遠ざければ恨む。
神経症的な親の接触と愛する人との接触を混同している。
親との心理的な絆を断ち切る。そして、自分の中にある憎悪や冷酷さを、正面から見すえる。
自分の望ましくない行動は、親の無意識の何をあらわしているのか、それを見つけ出すことができれば、解放される。
小さい頃の歪んだ体験を正面から見すえることで、自意識過剰はなくなっていく。
嫉妬深い親は、子供が自分を離れて何かすることが気に入らない。
自分の価値を証明するために相手に何かをしてあげる必要などない。
小さい頃、恩着せがましく育てられることで自分を間違って感じ、間違って定義し、真の自分を見失ってしまった。
嫉妬深い家庭。
自分の感情を周囲へ投影し、自分の感情と他人の感情とを混同している。
何か自分のことをすれば、嫉妬深い家庭の皆に責められた。
こんな人間達に評価などしてもらわなくてもいい。
憎まれないために、楽しい経験は避けなければならない。
相手を理解しようとする姿勢があれば、相手は自分を責めていないとわかる。
あなたは自由なのだ。そして、あなたであることだけで価値があるのだ。
その不快さは、今の感情ではない。昔の感情の再体験である。
自分には他人の感情に責任がない。と、言い聞かす。
自分が産まれる前から親は不機嫌であった。
他人の不快感情の犠牲にはならないと、決断する。
人間はもともと、他人といることを楽しむ存在である。
他人は自分といることを楽しむという脚本を書く。
心の底に感じていることに素直に反応する。
大物だから許したのではない。弱いから無視するふりをしたのである。
ありのままの自分を裏切り続け、他者に気に入られることで、実は自分の心の底には他者への憎しみが生じる。
他人に嫌われるのではないかとビクビクしている人は、実は心の底で他者を恨んでいるのではないか、と反省してみる。
受け入れられているという安心感をもっていない者は、たえず自分の言動を周囲に向かって正当化する必要を強く感じてしまう。
その重荷を背負う能力がないのに背負おうとして、神経症になる。
自分の内部にある感じ方は、人間として自然なもの。
自由になりたければ、渾身の力をふりしぼって、新しい流れに身を投じる。
やりたいことをやっても、誰も不快には思わない。
読書の軌跡
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