日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21) [36回参照されました]
ふっくんさん がこの本を手に取りました。ふっくんさんは、これまでに15冊の本を読み、5,314ページをめくりました。
本の紹介
100% [全313ページ]
状態 昔読んだ
2012/05/12 10:14:36更新
著者 山本 七平 ブックリンクされた本
-評価
★★★★★感想
★予定調和外の答えに対して日本人は不誠実
★その人の自己規定が、有形無形の組織における身の回りの小さな危機で規定されて、それ以上の大きな危機によって自己を制御するということができない。
★余りに苦しい状態に置かれると、たとえどうなってもいい、何でもいいから、この状態にけりをつけてほしい。 そうなった時に、一切の秩序は実質的に崩壊して、士気などといあうものは消える。
★ドイツ人は明確な意図を持ち、その意図を達成するための方法論を探求し、その方法論を現実に移行して実行する組織をつくった。日本は、相手に触発されてヒステリカルに反応するという、出たとこ勝負を繰り返す、意図がないから、それを達成するための方法論なぞ、ない。現象が現れれば、常にそれに触発されてあわてて対処するだけ。
★成果があがらないとなると、その方向へただ量だけを増やして、同じことを繰り替えすこのが、それを克服する方法としか考えられなくなるから。
★常に方法を変える。あの手がダメならあれ、この手がダメならあれ、と。新しい方法論を探求し、それに基づく組織を新しく作ろうとはしない。むしろ逆になり、そういう弱気は許されず、そういうことを言う者は敗北主義者ということになる。五十万送ってダメなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして、極限まで来て自滅するとき『やるだけのことはやった、おもいのこすことはない』と自己正当化。
★方向を定める一勢力としては無きに等しい例外的存在であり、何もなし得なかったという点では、無きに等しかった。
★精兵主義があれば精兵がおり、軍国主義があれば強大な軍隊が存在することになってしまう。
★動かすことが出来ないものに数字がある、数字は主義主張によって変化するものではない。 日本人は虚数を信じる。その数字を信じないと、もはや日本人の資格ないよ。と言われる。
★ないものを、ないと言わずに、ないものをあるというかいわないかを、その人間の資格としたことであった。精兵主義はあっても精兵はいないという事実を、一つの事実としてそのまま口にできない精神構造にあった。
★無一物中無尽蔵
★自己を絶対化し、あるいは絶対化したものに自己を同定して排除を要求し、それに従わない者を鬼畜と規定し、ただただ討伐の対象としても、話し合うべき相手とは規定し得ない。
★心理的解決と、現実的解決は異なる。人間は心理的解決に安心するが、全くの解決とはなっていない。 あらゆる言葉で実態をごまかし続け、その場その場を心理的解決で一時的にごまかきていったものの末路。
★壊滅の順序は、厭戦→士気低下→無統制→上下不信→相互不信→壊滅
★日本の強さは一言で言えば、中小企業もしくは零細企業的な強み。
★零細企業が持っているのは、正確に言えば個人の持つ、芸であっても、客体化できる技術ではない。いわば、零細企業の技術は、武芸と同じような印刷芸であって、正確には、氏から離れて、それだけを系統的に多くの人が同時に学びうる、体系的技術ではない。
★また、この芸は、チャンドラでだけ生かされるもので、氏がチャンドラで素晴らしい印刷をするから、高性能総自動化最新式印刷機ならもっと素晴らしい印刷ができるかといえばそうではない。
★いわば他に伝えられず、他に利用転用できない閉鎖的な術、すなわち、体得した秘術ともいうべきもの。従ってこれを習得するには、氏のところに弟子に入って、一対一の秘伝伝授で、体で学びとる以外に方法はない。
★これを技術 と考えるなら、なぜこういう技術が発生したかである。言うまでもなく零細企業は、規模と資本その他の全てが極端にまで制約された企業であり、この制約の中で、芸だけで他と競争して生き残ることを要請されている。これはちょうど、武器を日本刀にのみ制限し、この制約の中で、武芸だけで優劣を争う行き方と似ている。
★従って、この制約の中で、武芸だけで優劣を争う限り、この芸は、いずれの場合であれ、圧倒的な強みを発揮しうる。また客観情勢がぐうぜんにこの制約と一致すれば、同様の効果を持ちうる。宮本武蔵が、客観的制約を剣に限定されているなら、百人斬りも可能であろう。ただし、武蔵の術は、機関銃の前には役に立たない。
★われわれは、非常に長い間、この一定制約下に、術ないし、芸を争って優劣をきめるという世界に生きてきた。この伝統はいまの受験戦争にもそのまま現れており、ちっとやそっとで消えそうもない。
★そしてこの術、芸 絶対かの世界に生きていること、この術、芸 が、それを成り立たせている外部的制約が変わっても、同様の絶対性を発揮しうるかの如き錯覚を、人々に抱かす。チャンドラで最高級の印刷ができる者は、それ以上の優秀な機械を使えばそれ以上の印刷ができるという錯覚であり、これが極限まで進むと『一芸に秀でたものは万能』 という考え方を生む。
★さらにこの考え方は、当然に、チャンドラを大量に揃えれば、輪転機にも対抗でき、チャンドラに徹底的に習熟して、芸をたりうれば、どんな最高の技術にも勝ちうるという考え方になる。
★芸 の世界が成り立つには、二つの原則が必要である。すなわち、外敵制約の同一化あるいは同一水準化、およびその中における無限の訓練である。
★生物本能を無視したやり方は永続するものではない。
★徹底的に考え抜くことをしない思想的不徹底さは精神的な弱さとなり、同時に、思考の基礎を検討せずに曖昧にしておくことになり、その結果、基盤なき妄想があらゆる場面で 思想 のごと振舞う結果になっていた。
★全ての行動が、同じように思想的な基礎の欠如と精神的な弱さを示す、一貫性なき場当たり的な生き方だからである。
★いわゆる精神力という言葉は、この不徹底さをごまかす一種の粉飾決算的自慰行為にすぎないから、ひとたび戦い不利となると、一切の自身ある対策は生まれず、一枚看板の大和魂もさっぱり威力なしとなる。
★まことに中途半端であり、なに一つ徹底したものがなく、結局、基本的には無方針としかいえず、そのため計画らしきものはすべて空中ろうかくになる。
アメリカ→兵器至上主義
★自らの思想を徹底さす基礎となるべき哲学もなく、自らに適合した自らの技術を開発する基礎となるべき基礎科学の研究をしなかったこと。
★会社という基盤の上に、いかなる技術を打ち立てて、それを基礎にしてどのように生きて行くべきか。→基礎となるのは独特な位置、風土、伝統に基づく発想、いわば本当のしそうに基づくものでなければいずれ破綻する。
★小利口者は大局を見誤る
★ある力で『日常性という現実を意識させないこと』が逆に一つの通常性になっているため、自分が本当に生きて『場』を把握できなくなっている状態、これが敗因を導いた大きな原因。 簡単に言えば、自分の実態を意識的に再掌握していないから、『初めから無理な戦い』ができる。
★自己も信じない虚構を口にして、虚構の世界を作り上げ、人々にそれを強制する。
読書の軌跡
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