ハンニバル戦記 [2481回参照されました]
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本の紹介
100% [全151ページ]
状態 読み終わった!
2020/07/11 15:16:26更新
著者 塩野七生 ブックリンクされた本
-評価
★★★★☆感想
(p63)敵方の捕虜になった者や事故の責任者に再び指揮をゆだねるのは、名誉挽回の機会を与えてやろうという温情ではない、失策を犯したのだから、学んだにもちがいない、というのであったというから面白い。
(p85)共和政ローマでは、軍の総司令官でもある執政官に対し、いったん任務を与えて送り出した後は、元老院でさえ何一つ指令を与えないし、作戦上の口出しもしないのが決まりだった。…国の最高決定機関である市民集会が問われるのは、執政官がまとめあげた講和に賛成か否かを表示することだけであった。…多数であったのは反対票だった。…これが勝者の結ぶ講和か、と、ローマ市民は釈然としなかったのである。このような場合、ローマでは、十人の元老院議員で構成された調査団が派遣されることになっている。だが、シチリアに着いた彼らも、カトゥルスと同意見になるのに時間はかからなかった。…ローマは、相手が受け入れやすい条件での講和を結んだのである。帰国した調査団の報告を聴いたローマ市民たちも、今度は賛成票を投じた。
(p104)ローマ人の面白いところは、何でも自分たちでやろうとしなかったところてまあり、どの分野でも自分たちがナンバー・ワンでなければならないとは考えないところであった。もはや完全にローマに同化していたエトルリア人は、あいもかわらず土木事業で腕をふるっていたし、南伊のギリシア人は通商をまかされていた。シチリアが参加に加わって本格的にギリシア文化が導入されるようになって以降は、芸術も哲学もギリシア人にまかせます、という感じになってくる。
(p106)第三番目は、現代人が植民地と訳している「コローニア」である。戦略上重要と思われる地域に、多いときには六千人もの男たちが入植する。家族連れで入植する者もいるが、多くの場合は独身者だ。現地の女との結婚による混血化は、法に明記する必要もないくらいに当然と考えられていた。
(p107)ローマとの同盟関係の歴史が浅いこれらの諸都市に、ローマは完全な国内自治を認めていた。それどころか、支配階級に属す人々には、ローマ市民権の取得を奨励さえしていたのである。この人々は、ローマ市民権を取得しても生国の市民権を捨てることは求められなかったから、ローマ人は以前の敗者に、二重国籍さえ認めていたということであった。そして、ムニチピアもコローニアもソーチも、勝者ローマに、年貢金や租税を払う義務はなかった。ローマは、これらの諸都市に、兵力の提供を求めたからである。西欧思想のルーツとなる古代のギリシアとローマでは、資金提供よりも兵力提供のほうが、名誉ある協力のしかたと考えられていた。
(p108)ローマは、このように、同盟者とはケース・バイ・ケースの関係を樹立していたが、ケース・バイ・ケースはあくまでも「区別」であって、「差別」ではなかった。
(p109)ローマ街道には通行料はなかったし、誰でも通ることができた。…しかも、山賊や盗人に襲われる危険も減った状態で。当り前だ。軍団の往来の激しい道に山賊が出没するはずもない。ローマ人は、今の言葉でいう「インフラ整備」の重要さに注目した、最初の民族ではなかったかと思う。インフラストラクチャーの整備が生産性の向上につながることは、現代人ならば知っている。そして、生産性の向上が、生活水準の向上につながっていくことも。後世に有名になる「ローマ化」とは、法律までもふくめた「インフラ整備」のことではなかったか。そして、ローマ人がもっていた信頼できる協力者は、この「ローマ化」によって、ローマの傘下にあることの利点を理解した、被支配民族ではなかったかと思う。
(p115)古代のローマ人は、"国税庁"すら民営にしていた。…彼らは一年ごとに、前年の収穫高を参考にした今年の予定収穫高を弾き出す。それをもって、徴税権の入札に参加する。納税者が払えないほど高い額を提示したりすれば、入札には勝っても自分が破産する危険があるから、妥当な線に落ちつくのが一般的だった。「公務代行人」の取り分は、十分の一税のうちのさらに十分の一であった。また彼らは、徴税事務に関するすべての書類を属州統治官に提出しなければならなかった。そして、ローマは、この徴税請負い業務が、個人よりも、属州にされる前に存在していた各都市が担当することを奨励した。…ローマは、直接税の一パーセントにしても、地元に還元されるようにはからったのである。
(p129)もちろん、抽選にはずれてばかりいる幸運な区があっては困るので、その辺は適当に調整したらしい。ローマ人はシステム好きだったが、頭が固くはなかった。
(p130)ローマの兵士は、普通の市民なのである。ゆえにローマは、無用な兵力の徴集を極度に嫌った。…召集順序ははっきりしていた。よほどのことがなければ、軍務を免除されている無産者にまで、召集がかかることはなかった。資産による収入が期待できない彼らの、生活の糧を奪うことになるからである。
(p140)まず、同盟諸国が適格者として推薦してきた者たちで、執政官の近衛隊が編成される。執政官の身のまわりの諸事からボディーガードまで担当する兵たちだが、後述する宿営地でも執政官の陣幕のすぐ近くに宿営するのが彼らである。ローマは、自国出身の最高司令官の身辺を固める役を、自国の市民ではなく、同盟国とはいえ他国の市民にまかせたのであった。
(p148)最も重い罰は、敗戦では司令官も罰しなかったローマでは、戦闘で敗れた場合に科されるのではない。集団で軍規に反した行為をした場合、つまり総司令官に反旗をひるがえした場合に科される罰である。軍団全体から、十人に一人の割合で抽選によって犠牲者が選ばれる。その者が他の者たちの罪を負って、厳しい鞭打ちの刑の後の斬首刑に処されるのである。この刑罰は「十分の一処刑」と通称され、ローマ軍では最高の厳刑とされてた。自分自身も同罪でいながら同僚を処刑する役まで務めさせられるのだから、精神的にも残酷このうえもない罰であったのだ。しかし、ローマ軍の軍規は厳しいことで知られていたが、公正に実施されることでも有名だった。
(p150)差別は存在したが、差別されたのはローマ市民兵のほうであった。なぜなら、ローマは同盟国からの参加兵には無料で支給したが、自分の国の兵士には、その分の費用を”給料”からか差し引いたからである。
読書の軌跡
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