歴史と戦争 [75回参照されました]
Popoさん がこの本を手に取りました。Popoさんは、これまでに198冊の本を読み、56,501ページをめくりました。
本の紹介
100% [全213ページ]
状態 読み終わった!
2019/03/03 10:35:09更新
著者 ブックリンクされた本
-評価
★★★★☆感想
(p98)神風特別攻撃隊による最初の体当り攻撃が行われた…天皇はいった。「そのようにまでせねばならなかったか。しかし、よくやった」…(前半は)仁慈に満ちた天皇の姿がある。そして同じ人が、大元帥として(後半)と賞詞を述べるのである。一人の人間のなかに、政治的人格として二人の人間が共生しているかのような感じにとらわれざるをえない。: 自分のために尊い命が失われた後に、そのこと自体を否定することはできなかったのでは、と少し思った。一方でそうだとしても、その言葉が攻撃を命令した人々に伝わること、その人たちが喜んでそれを繰り返すことを予見して慎まなかったことは、過ちだと思う。
(p105)かりに反戦思想をもったひとがいたとしても、無惨に死んでいく仲間に対して、特攻隊の若ものに対して、なんらかの負い目をもたずにはいられなかった…多くの青年たちが運命に身をゆだねながら、なんとかして心の底から戦争を納得したいともがき、悩み、傷つき、うめき、そして死に急いでいった。
(p108)(東京大空襲の)焼け跡で、俺はこれからは「絶対」という言葉を使うまい、とただひとつのことを思った。絶対に正義は勝つ。絶対に日本は正しい。絶対に日本は負けない。絶対にわが家は焼けない。絶対に焼夷弾は消せる。絶対に俺は人を殺さない。絶対に…と、どのくらいまわりに絶対があり、その絶対を信じていたことか。それが虚しい、自分勝手な信念であることかを、このあっけらかんとさ焼け跡が思いしらせてくれた。俺が死なないですんだのも偶然なら、生きていることだって偶然にすぎないではないか。
(p171)(「サイパンから来た列車」の)作者の、死者をよみがえらせたいという悲痛な願いが、戦争をくぐりぬけて生き残った人びとの鎮魂の祈願とも重なって、鬼気あふるる異様な二重の迫力をもってわが胸にせまってきた。ほかの誰かが身代わりになって死んでくれたのだ、という生き残ったものの抜き難い想い、負い目や、かれらをもう一度生き返らせて故郷の山河を見させてやりたいという想いや、そうした死者追悼のわれらの心に向けて、サイパンからの列車は一直線にやってきて、そして去ってゆく。闇にのみこまれてゆく赤い後尾灯がいつまでも胸奥に残って消えなかった。
(p184)幅広く語ったつもりでも、歴史とは政治的な主題に終始するもんだな、ということである。人間いかに生くべきかを思うことは、文学的な命題である。政治的とは、人間がいかに動かされるか、動かされたか、を考えることであろう。戦前の昭和史はまさしく政治、いや軍事が人間をいかに強引に動かしたかの物語であった。戦後の昭和はそれから脱却し、いかに私たちが自主的に動こうとしてきたかの物語である。しかし、これからの日本にまた、むりに人間を動かさねば…という時代がくるやもしれない。そんな予感がする。
(p186)戦争は、ある日突然に天から降ってくるものではない。長い長いわれわれの「知らん顔」の道程の果てに起こるものなんである。漱石が『吾輩は猫である』八章でいうように、「すべての大事件の前には必ず小事件が起るものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥る弊竇である」…いくら非戦をとなえようが、それはムダと思ってはいけないのである。そうした「あきらめ」が戦争を招き寄せるものなんである。
(p192)国防に任ずる者はたえず強靭な備えのない平和というものはない、と考えておるんだ。そんな備えのない平和なんてもんは幻想にすぎん…勝海舟の言葉「忠義の士というものがあって、国をつぶすのだ」とそっとつぶやいたことであった。
読書の軌跡
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