坂の上の雲〈5〉 (文春文庫) [4198回参照されました]
Popoさん
がこの本を手に取りました。Popoさんは、これまでに198冊の本を読み、56,501ページをめくりました。
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本の紹介
| 100% [全413ページ] |
状態 | 読み終わった! 2019/12/05 17:05:54更新 |
著者 | 司馬 遼太郎 |
ブックリンクされた本
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評価
★★★★☆感想
(p17)会議になると激論がつづき、結着がつきにくかったが、大山は空気のようになってそれをながめている。やがて機会をつかまえて身をのりだし、いっさい理屈をいわず、一人一人に「貴公はこうしなされ。貴公はこのように」と、それぞれに対し的確に示唆することによってたちどころに裁いた。この判定の正しさには、それがいったんくだると、理屈屋たちも判定の理屈をいう気もおこらなくなるほどだったという。
(p42)明治国家は日本の庶民が国家というものにはじめて参加しえた集団的感動の時代であり、いわば国家そのものが強烈な宗教的対象であったからであった。
(p94)専門家のいうことをきいて戦術の基礎をたてれば、とんでもないことになりがちだ。…専門家といっても、この当時の日本の専門家は、外国知識の翻訳者にすぎず、追随者のかなしさで、意外な着想を思いつくというところまで、知識と精神のゆとりをもっていない。児玉は過去に何度も経験したが、専門家にきくと、十中八九、「それはできません」という答えを受けたりかれらの思考範囲が、いかに狭いかを、児玉は痛感していた。児玉はかつて参謀本部で、「諸君はきのうの専門家であるかもしれん。しかしあすの専門家ではない」とどなったことがある。専門知識というのは、ゆらい保守的なものであった。
(p98)援護射撃は、なるほど玉石ともに砕くだろう。が、その場合の人命の損失はらこれ以上この作戦をつづけてゆくことによる地獄にくらべれば、はるかに軽微だ。…援護射撃は危険だからやめるという、その手の杓子定規の考え方のために今までどれだけの兵が死んできたか。
(p143)休戦のとき、一戸の旅団は一戸みずからが指揮して、東砲台の下の死体を収容した。このときロシア側から自体収容の作業にきていた一団があり、そのなかに将官がいた。一戸が微笑して敬礼すると、その将官も微笑を返して敬礼し、菓子を贈ってきた、という。
(p163)(児玉により、旅順港のロシア艦隊をほぼ全滅した後)東郷は、「私は、封鎖を解いて本国へ帰ります」と、(乃木に)報告をし、あいさつしたであろう。この間、なお日露両軍のあいだに、遠雷のように砲声の交換がおこなわれつづけていた。
(p165)大砲の操作法といったような技術分野には素人と玄人の問題があるにしても、軍事(ストラテジック)というものそのものには素人・玄人というものがない…長篠の役における武田軍団の諸将はことごとくその敵の織田信長よりもはるかに玄人であった。が、信長が案出した野戦における馬防陣地の構築と世界戦史上最初の一斉射撃のために壊滅してしまった。そのくせ信長や秀吉の戦法は江戸軍学にはならず、武田信玄の古風な甲州陣法が軍学になって幕末まで継承されたというところに、旅順における伊地知幸介を生むにいたるところの日本人の心的状況(メンタリティ)の一系譜があるであろう。
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