チーズと塩と豆と (集英社文庫) [205回参照されました]
とくこさん がこの本を手に取りました。とくこさんは、これまでに46冊の本を読み、11,505ページをめくりました。
本の紹介
100% [全193ページ]
状態 読み終わった!
2015/08/22 11:21:01更新
著者 角田 光代 ブックリンクされた本
-評価
★★★☆☆感想
女性作家4人による、ヨーロッパの食をキーワードにした短編集。
表紙とタイトルの印象に反して、中々塩気の効いている印象。
食というのは命を連想させるのか、田舎というのがそうさせるのか、死と反発、というのが共通で流れているなと。
様々な想いや経緯を経ながら、みんな最後に帰るべき場所に帰っていって、そこには一皿がある。そんな感じ。
「神様の庭」と「ブレノワール」は沁みる。
そして江國香織がすき。
読書の軌跡
33ページ | 2015/08/15 21:13:06 | でも、そこまでして、それでどうなるの。わたしは思った。一生その人たちに食事を提供し続けるわけにはいかない。いのちを危険にさらしながらある時期そこに逗留して、あたたかい食事を平等に配って、でもいつかは引き揚げる。そのあとで彼らはどうなるの。また飢えるわけ?だったら、なんの解決にもならないじゃない。 |
36ページ | 2015/08/15 21:17:11 | 「こういうとき、思うんだよ。ああ、あの日、あいつらが食いたいものをたらふく食えて、よかったって」 |
43ページ | 2015/08/15 21:26:25 | 解決を待つあいだに、不正を暴くあいだに、空腹で人は死ぬのだ。一年後、五年後、すべての未来は、今日という日を乗り越えなければ永遠にやってこないのだ。憂うなら、未来ではなく今日、今なのだ。 |
46ページ | 2015/08/15 21:33:03 | 取り分けようと手をのばすが、彼は皿を渡そうとしない。「これから別れようという話を、和気藹々とメシ食いながらすればいいの?」彼の顔からようやく笑顔が消える。笑顔にはいらだちと失望が隠されていたことを、ようやく私は知る。「最後の晩餐になるかもしれないじゃない」わたしはすがるような気持ちで言う。和気藹々と話そうとしてどこがいけない?最後の時間の記憶が幸福な食事の光景じゃ、なぜいけない? |
78ページ | 2015/08/16 10:44:43 | もっと高さのさる杭を使って柵を作り直さなければならない、という事実を認めて私は呆然とする。その作業を自分がやるだろうということ、できるということにも。「僕がいなくなってもアリダがやっていけるように準備しておかないと」というのはカルロの口癖だった。そのために彼が骨を折った中には、「自分ができることを私もできるようになるように教える」のいうことも入っていた。でも彼がそうしたのは私への愛からだったのだろうか?私をこの場所に縛りつけておこうとすることが愛だろうか?私に彼を忘れさせまいとすることが? |
108ページ | 2015/08/21 21:43:35 | 「胃袋の中身が変わらないから頭の中身も変わらないんだ」 |
152ページ | 2015/08/22 00:32:55 | それでも、僕たちはすこしずつ互いの存在を認め、必要とし、いつのまにか、なくてはならない近しい者同士になった。 |
174ページ | 2015/08/22 00:48:44 | いまここにいるのに、いまここではない場所や時間のことを考えているマヌエルが、僕を余計孤独にした。 |
185ページ | 2015/08/22 00:56:57 | 平泳ぎのできないマヌエルはクロールで、クロールのできない僕は平泳ぎで泳ぐ。 |
193ページ | 2015/08/22 11:21:01 |
コメント
コメントするにはログインが必要です。