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ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー
帝政ロシアの将校には珍しく貴族(父は軍医)出身ではなかった。1864年、海軍幼年学校に入校し、その後ペテルブルグのミハイロフ砲術アカデミーを優秀な成績で卒業した後、1873年、中尉に任官した。当初、海軍砲術試験委員会で働き、電気工学に興味を持った。1877年、露土戦争 (1877年) 露土戦争に従軍し、四等ゲオルギー勲章を授与された。1883年、ブルガリア海軍司令官となる。その後、バルチック艦隊に移り、1894年、ステパン・マカロフ指揮下の地中海艦隊で装甲巡洋艦「ヴラジーミル・モノマフ_(装甲巡洋艦) ヴラジーミル・モノマフ」の艦長となった。
1898年、少将に昇進し、バルチック艦隊の教育砲術支隊司令官となった。支隊司令官在任時、現行の貴族中心の採用基準では有能な人物を抜擢できないとして、暗に貴族制度を批判していた。1903年、海軍参謀総長を歴任し、ツァーリ 皇帝ニコライ2世の侍従武官を務めて皇帝からの信頼を得た。