「司馬遼太郎」で学ぶ日本史 (NHK出版新書 517) [76回参照されました]
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本の紹介
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2017/07/30 09:15:45更新
著者 磯田 道史 ブックリンクされた本
-評価
★★★☆☆感想
(p33)一般的な小説では、人間の抱える矛盾を描くことが重要視されます。しかし、司馬さんの場合は、その人物の存在が与えた社会的影響を明らかにする方が大事でした。ですから、あえてその人物の性格や資質をひと言で定義します。
(p38)信長は「天下布武」、すなわち武力で天下を治める政権を打ち立て、中央集権によって日本をくまなく従属させるという思想を生み出しますが、これが松陰の段階に対応します。それを柔軟な思想でもって実行するのが秀吉で、高杉の第ニ段階に当たる。最後に現実家の家康がそれを治めていくという形で、山県の最終段階に至ります。(革命の三段階)
(p46)高度経済成長期の「モーレツ社員」は、その秀吉の姿を自らに重ねて読んだのです。能力が高いだけでなく、明るく人に好かれる好人物が出世していく成功物語としてー。
(p64)司馬さんは、敗れた側でも、状況次第では時代を動かす側に回り、近代日本をつくり上げるのに大きな役割を果たしたであろう人物を見出し、その可能性を描き出す作家でした。
(p68)重要なのは、革命には最初に理想主義を掲げる予言者が現れ、次に革命の実行家が現れ、最後に、その革命の果実を受け取る権力者が生まれるのですが、そのときにはもうすでに革命は腐敗が始まるということです。
(p72)第一次世界大戦を考えてみれば、最初は歩兵の戦いだったのに、ほんの数年の間に戦車が登場し、気球で偵察していたものが複葉機の空中戦闘にまでつながっていくような変化が起こりました。だからこそ、軍事組織に入った以上、変化に対応できる柔軟な頭を持っていないといけないのですが、歴史家の私から見れば、そういう人がほとんどいないことがとても不思議なのです。
(p71)実際、明治時代の日本の軍隊は、武器にしても銃ならば村田銃、有坂銃、火薬なら下瀬火薬というように、最新の一番いいものを開発したり、手に入れたりして戦おうとしていました。ところが恐ろしいことに、その装備のままほとんどモデルチェンジをせずに、敗戦まで行ってしまった。そのころには相手側はもうジェット機とか核兵器とか、ものすごい武器を開発していたわけです。
(p75)解剖学者の養老孟司さんが次のようなことをおっしゃっていました。日本人というのは、とにかく戦争で目に見えない「思想」というものに痛めつけられた。神州不滅ー日本は神の国だとか、七生報国ー七回生まれ変わっても国に尽くすといった思想をさんざん吹き込まれ、ひどい目に遭った。だから、ちゃんと目に見える、即物的なものを強く信じる合理的な世代が生じて、高度経済成長期のときに一気に物質文明に向かったのだーと。
(p79)変動期には大村のような合理主義的な人物が登場して日本を導くが、静穏期に入ると日本人はとたんに合理主義を捨て去る。この繰り返しであることを、司馬さんは言外に訴えています。大村はその徹底した合理主義でもって時代を動かすリーダーとなりえました。もうひとつ、リーダーシップに欠かせない要素が「無私の精神」、つまり、自分を勘定に入れない客観性です。しかし、この客観性というものは、一面で共感性や情緒の欠如をもたらします。
(p84)司馬さんが描きたかったリーダー像というのは、国を誤らせない、集団を誤らせない、個人を不幸にしない、ということに尽きると思います。その対極にあるのが、過去からの伝統にとらわれて一歩も出られない人物や組織の在り方であり、合理主義とは相容れない偏狭な「思想」にかぶれて、仲間内だけでしか通用しない異常な行動を平気でとってしまう人や集団です。
(p92)合理主義の反対は不合理主義に違いないのだけれども、多くの場合、不合理を生み出しているのは、言ってみれば形式主義なのです。
(p105)夷を打ち払うというのは、本来は武士の仕事でした…「尊王」思想に立脚すると、武士もそれ以外の庶民も、ともに天皇の家来ということになる。武士の特権的地位は、意識のなかで後退していきます…国民全員が「草莽の志」を抱いて「天皇の家来」を名乗ることで、政治参加が可能となる回路ができたわけです。
(p108)江戸時代になると、庶民がたとえ故郷から遠く離れた村で行き倒れても、通行手形さえ持っていれば、これがパスポートとなって、村から村へとリレーで自分の家まで親切に送ってもらえる、「次送り」というシステムまでできていたのです。
(p132)福沢諭吉の言葉に「一身独立して一国独立す」というものがありますが、「一身独立」というのは、自分がきちっと自らの商売や役割を果たすことで、みんながそれをやれば、「一国独立」、つまりは国がきちっと回っていく、という意味です。
(p139)公共心が非常に高い人間が、自分の私利私欲ではないものに向かって合理主義とリアリズムを発揮したときに、すさまじいことを日本人は成し遂げるのだというメッセージと、逆に、公共心だけの人間がリアリズムを失ったとき、行き着く先はテロリズムや自殺にしかならないという裏の警告のメッセージを、司馬さんは、私たちに発してくれているのではないかと思います。
(p148)ある地域社会で、自分はよい家に生まれたのだといって誇りに思っている人がいます。その人が家柄を自慢し、他の家を馬鹿にするり何ら自分の努力で手に入れたわけではなく、ただその家に生まれただけなのに他人を見下していると、自分は金持ちなのだから、貧乏人を従えて当然だという考えに陥っていきます。それが国家レベルまで拡大したものがナショナリズム…対して「いや、自分はたまたま名家に生まれついたのだから、一層きっちりとして、さらに周りから尊敬される良い家にしよう」と考える…この感情を国家レベルでおこなうのが、司馬さんの言う愛国心(パトリオティズム)に近いと思います。
(p154)日露戦争で、下級武士出身の維新の功労者が、主君の大名や上級公家をおいこして、爵位のうえで偉くなりました…戦争で勝った者が華族になり、場合によっては帝国議会の貴族院の議席さえ世襲できるのを見せてしまったのですから、新たに軍隊に入ってくる若者、特に維新で賊軍にされてしまった奥羽越の出身者たちも、薩長出身者におくれをとらじと、日露戦争のまねっこ戦争を考えて、自分が華族になる姿を想像するのは、当たり前です。しかも青少年期に、日露戦争の大陸軍・大海軍の栄光を見て、軍人での立身出世をめざした人たちです。冷静に世界情勢や日本の国力を分析して、軍を縮小しようなどとは思うはずもありません。海軍の人たちは失業するわけにはいかないので、大きいままの海軍を維持して、今度は新しい仮想敵を求めます。ロシアの艦隊を破った後ですから、それはアメリカーということになる。司馬さんが理想とした明治のなかに、「鬼胎の時代」の萌芽があったのです。
(p162)ドイツ文化の罪ということでは一切ない…一種類の文化を濃縮注射すれば当然薬物中毒にかかるということである。そういう患者たちに権力をにぎられるとどうなるかは、日本近代史が動物実験のように雄弁に物語っている。(司馬遼太郎「この国のかたち」)
(p170)明治期の日本は、議会が君主権を監督するというヨーロッパの標準の形が進んだ国家の姿だと理解し、それを忠実に真似するのが正しい立憲国家の姿だとおもってやってきました。ところが、日露戦争後はヨーロッパさえもいくらか見下し始めます。真面目に議会を育てて立憲国家を運営していくという考えが希薄になっていきます。そもそも、いばっていられるのは誰のおかげなのか、日露戦争で軍が頑張って勝利したからこそ一等国になったのだ、憲法や議会ではなく軍こそが国家の威力の中心なのだーという自意識があり、国民もその考えに傾いていってしまったのです。
(p176)司馬さんが子どもたちに伝えたかった主旨は、おそらく日本人の最も優れた特徴である「共感性」を伸ばすことだったと思います…他人の痛みを自分の痛みと感じることーどうしたら相手は辛いだろう、どうしたら相手は喜ぶだろうといった、相手を慮る心が日本人は非常に発達している…(無私といいますが)「私」がないのではなく、「私」と相手の区別がないのです。
(p180)司馬さんは、真の愛国者というのは緒方洪庵のような人物だと思っていたにちがいありません。この国がうまくいくように、自分で考えて行動し、他人に共感性をもって、人の命を救うことに生涯をささげた人です。
(p183)司馬さんの文学というのはーこれは漫画家の手塚治虫さんにも通じることかもしれませんがー、読み手の人生をよりよくし、また読んだ人間がつくる社会もよりよくしたい、という、つよい思いがこめられた作品です。
(p184)司馬さんは、日本国家が誤りに陥っていくときのパターンを何度も繰り返し示そうとしました。たとえば、集団のなかにひとつの空気のような流れができると、いかに合理的な個人の理性があっても押し流されていってしまう体質。あるいは、日本型の組織は役割分担を任せると強みを発揮する一方で、誰も守備範囲が決まっていない、想定外と言われるような事態に対してはレーダー機能が弱いこと。また情報を内部に貯め込み、組織外で共有する、未来に向けて動いていく姿勢をなかなかとれないといった、日本人の弱みの部分をその作品中に描き出しています。
読書の軌跡
192ページ | 2017/07/30 09:15:45 |
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