日本の昔話絵本の表現―「かちかち山」のイメージの諸相 (てらいんくの評論) [30回参照されました]
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本の紹介
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2012/01/12 13:37:22更新
著者 神立 幸子 ブックリンクされた本
-評価
★★★★★感想
十二世紀に書かれた鳥獣戯画に典型が見られる。かえる、きつね、うさぎたちははじめは自然体だが、ストーリー性の感じられるところでは役柄にふさわしい衣装を着ている。
十二類絵巻では、獣頭人身像といわれるように首から上の頭部は動物そのものだが、からだは人間。舞台の上で役者が動物を演じる際の衣装と見ることができる。日本の絵画の伝統を占めている。
自然体…そのもののからだ。四本足の場合と二本足で立つ場合とがある。
A型…自然体に近い二本足の立ち姿に衣装をまとう。現代の絵本はほとんどこの型。
B型…頭部は動物、からだは人間。日本の伝統的な絵画の一様式。
A◦B型…頭部は動物。からだは動物と人間を合わせたような描き方。
■江戸期
児童出版美術の散歩道より
「戦国時代ともいわれた動乱期が徳川家康の日本統一によって終わると、社会経済は一段と発展し、それがもととなって読者の増大と印刷術の発達がうながされ、やがて、手描きの一点本だった奈良絵本にかわって、大量生産の可能な木版印刷による絵本があらわれてきます。そのうちもっとも美しいのが、線描き墨刷りの画面に主として赤と緑の二色を手彩色した「丹緑本」です。この丹緑本はいわば奈良絵本の木版印刷であって、その内容も奈良絵本とほとんど変わらないのですが、江戸時代の中期になると、…その表紙に子どもの好みに合わせて赤い色の紙をかけたため、のちに「赤本」と呼ばれるようになった…」
◦むぢなの敵討ち
作者、出版年は不明
発端は鼠浄土(地蔵浄土またはおむすびころりん型とも)型。
こぼれた穀物を拾い合う人間の習慣をもちだして婆を殺める場面でむじなが擬人化されている。
いきなり着衣をし、その姿は人の体にむじなの頭をつけたB型である。
食うか食われるかの逆転劇が共食いになる話は、イギリスの三びきのこぶたがあげられる。末のこぶたがおおかみをたべることによって、先に食べられていた兄弟をも食べことになる。
「熊人を助」(北越雪譜)では雪の谷底に落ちた人が熊に助けられるが、人間がその熊を殺そうとしたために逆に熊に殺されてしまう。
ちからくらべは身体的な強さ、文明の利器、知恵による戦い。
爺が婆を食べるのは、日本の家父長制度への皮肉にも見える。
日本の百姓は口にする米には宗教的といえるほどの感謝の念を抱いていたが(菩薩扱い)、動物の肉を食うことにはほとんど気を向けてこなかった。
明治初頭まで仏教は獣を殺したり食べたりすることを禁じており、一般の神道も肉食を穢れとしていた。しかし、裏では野生生物の肉を食べていたというのが事実。
動物を人間より下位に見る仏教思想の背景。
◦兎大手柄 赤本
発端は鼠浄土型。
わざと団子を穴に落とし、老婆に諌められ穴を掘り返したところでむじなに遭遇。婆は逃がしてやれと言うが爺が捕縛。
食糧となる狸になまはんかな情をかけることが身を滅ぼした。
婆汁を食べる爺を見下ろす狸が着物を着た男姿のB型に変身している。
ふだん心易き兎が登場、男姿のB型。
場面を別の角度から描きながら両者をなだらかにつなげている場面は、絵巻に習う当時の絵本構成上の工夫。
燃える柴を背負ったたぬきは四つ足の自然体に戻っている。擬人化された動物が火急の場で自分の本当の姿にもどってしまうのは近代の表現に一脈通じる。
⭕江戸期の絵本においては本筋から少々ずれた視覚化が喜ばれた。船作りに要する小道具がこまごまと描かれている。
⭕登場者を斜め上下に配置し、躍動感をそえている。絵巻だけでなく縦長の掛軸の絵の構図のあり方を生かしたと見ることもできる。
■江戸期の赤本について
瀬田貞二 子どもの本評論集 絵本論より
日本の「物語る絵」は絵巻物である十二世紀前半の「鳥獣戯画」、「源氏物語絵巻物」にさかのぼる。その世紀の後半(1170年代の)「信貴山縁起」、「伴大納言絵詞」で完成。十三世紀、十四世紀になるにつれ、物語はグロテスクなものや特殊なものに後退し、描写は次第に風俗にもぐり、より繊細により平板により装飾になって、通俗的に画一化していった。そのあと室町時代末に、絵巻物を簡略化した口碑伝説や昔話や説話の手写本の奈良絵本がおこり、江戸時代のはじめまで百余年続く。
◦小型の赤表紙本
タテ13×9センチ、十七世紀から十八世紀
◦中型本
タテ19×13.5センチ、1704から1736年
◦江戸時代の絵本・赤本B6判が一般的。表紙を除き10ページ。絵を大きく描き、余白に細かい仮名書き。
⭕江戸赤本は、丹緑本のように彩色されておらず原則として墨刷りで、はじめのうちは版面を上下ふたつに分け、上段三文の一ほどに文章を、下段三分のニほどに絵を描きましたが、次第に、絵のなかへ適宜に文章を書き込むようになっていきました。
■明治期から昭和の終戦まで
鳥越信、はじめて学ぶ日本の絵本史2「1926年から45年にかけての20年間が、近代日本の絵本史の中で、もっともダイナミックな時期といえるのは、まず目を見はるばかりの量的な飛躍である。…しかし、時代としては一路侵略戦争への道を突き進んでいるわけだから、1945ねんへ近づけば近づくほど戦時色がこくなり、良心的なシリーズでさえ好戦的な内容が増えてくる。」
◦巖谷小波 日本昔噺
今日に至るまでに書かれた昔話の原型。
「かちかち山」
畠を荒らすいたずらたぬき。
⭕仏教用語が端々に見られる。
燃える狸の背中の描写…背の柴は一面に火に成つて、まるで不動明王の様
最後に狸に聞かせる言葉…ヤイ古狸!おのれはよくもよくも、及公の近所のお婆さんを撲殺して婆汁にしたな。人間を悩めた天の罰、カチカチ山の火責めから、唐辛子味噌の苦痛。果は此所で水雑炊に成るのも、婆汁の応報だと思へば、格別腹も立つまいから、覚悟をして往生しろ!」
当時はこのような仏教用語を挿入することに違和感はなく、むしろ日本的な情緒で受け入れられたものと推察します。
狸が溺れて死んだあとの話、おじいさんが兎にご馳走して我が子同然にかわいがった、という結末まで書かれている。
表紙にはまさかりをかつぐ兎と狸がB型で描かれている。
挿絵中もB型で、兎は狸より一等上等な着物を着ている。
◦カチカチヤマ 「日本一ノ画噺」
文はすべて小波、絵は杉浦非水、岡野栄、小林鐘吉がそれぞれ一冊をうけもって描いている。
見開きの右側に縦書きの二、三行の文章、左に絵。数場面は見開き絵、下に右から左に読む文字。
五文字、七文字のリズム感のある文章。
だいじな はたけ を あらした たぬき
わな に かかって このとほり」
「うまい くちに うかと のり、たぬきの はな を といたらば、むぎ は つかれず おばあさん、きね で とうとう ころされた。」
鳥越信「巖谷小波とその絵本」より
「昭和十一年十一月、皇太子が幼少の折、いい絵本をという動機から始められたという「講談社の繪本」は、大資本による大量生産、大量販売の力もあずかって、当時の家庭に大進出し、一気に絵本の市民権を確立すると同時に、功罪半ばする絵本観を浸透させ、その後の日本の絵本に多大の影響を与えた。
絵本のレイアウトは典型的な「ベッタリ絵本」であり、色刷りのスペースが増えれば増えるだけ豪華な絵本になる、という単純な量的関係だけを絵本の軸にすえた点で、致命的なあやまりを犯した。」
西田良子 はじめて学ぶ日本の絵本史二
「講談社の絵本は勧善懲悪の絵本ではあるが、残酷性はきわめて弱く、むしろ一定の繰り返しや三段階の展開を巧みに使った表現のおもしろさ、時代装束を着た擬人化された動物の、人間そっくりの表情のおもしろさに教訓性が覆い隠されている上、一流画家の気品ある日本画が、美しい昔話の世界を現出させていて、当時としては抜群に魅力のある絵本だったと思われる。」
◦かちかち山 講談社の繪本
繪、尾竹國観、文、松村武雄。昭和13年
殺した、死んだという言葉は一切使わず、狸の生死は読者の想像に委ねている。
本文はすべてカタカナ。
ひらがなで再出版された新・講談社の絵本では、おじいさんが仏壇で手を合わせるシーンがはぶかれ、代わりにおばあさんは、しにました。の一文が追加されている。
婆汁のくだりはない。
⭕昭和十年代に発布された「児童読物改善ニ関スル指示要項」廃止スベキ事項…内容ノ野卑、陰惨、猟奇的ニ渉ル読物」
狡猾な、おじいさん像。日本が大陸侵略をいっそう進めていった昭和十年代のアジアの状況を重ねて見ると、おじいさんは日本側、動物たちは侵略される側。温厚であったり冷酷であったりする人間の二面性が垣間見れるが、当時としては肯定的に描いたのだろう。
■戦後期
◦かちかちやま
昭和42年ポプラ社出版
絵、瀬川康男 文、松谷みよ子
・・・そうな、という結び方と、ところどころに唱え文句が織り込まれている。
「ひとつぶは 千つぶに なあれ/ふたつぶは 万つぶに なあれ」
「ひとつぶは ひとつぶの まあまよ/ばんに なったら もとなしよ」
懐かしい日本語のリズム。
婆汁をおじいさんが食べる描写はない。
動物は日本足で人間らしい動きをするが、着衣はしていない。
◦かちかちやま
講談社、昭和45年
絵、瀬川康男 文、松谷みよ子
動物はやはり衣装を身につけていない。
日本画の要素が強い。
ーます。ーました。ーましたって。という語りかけが時々入る。
うさぎとたぬきが自然の中で人間的なしがらみから開放された直後、話の進展通り狸は奈落へ突き落とされる。
小波の船の上での穏やかな二匹の会話から連想されたと思われる展開で、さらに独創的な表現となっている。人間側にも動物側にも加担しない。
◦かちかちやま
1988年、福音館書店
文、小澤俊夫、絵、赤羽末吉
文が横がきなので、流れが右に進む。
標準語で、ーました。のむすび。
うさぎは自然体の体に、赤丹色の半天をはおるA型の姿。
うさぎ、狸両者の顔は日本の伝統芸能
読書の軌跡
143ページ | 2012/01/12 13:37:22 |
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